映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

Thatness and Thereness

X-T5 + SIGMA 18-50mm F2.8 DC DN

この記事では最近猛烈に腹を立てたことをちょっと長文で書いていたんだけど、やっぱり消すことにした。そこで書いたことが間違っているとは思わないんだけど、自分の中で「そうだよな」と確認できたから、あえて世間に出す必要もないというか。

最近はそういうことが多い。不満に思ったことを書いて共感されて(まあ共感されないってこともあり得るんだけど)気持ちいい、みたいなのはもういいんじゃないか、という。本当に大事なのは他人に共感されること(その大半は表面的な共感である気がするし)より、自分の中に落とし込むことなんじゃないかと考えていたりする。と、こんなことを書いている時点で何かしらの共感を人に期待しているんだよな。

それはさておき、坂本龍一が亡くなった。あまり安易にいろいろ書くべきじゃないと思っているのだけど、たぶん自分の一番古い映画の記憶が『戦場のメリークリスマス』(小さい頃は何の映画かわからなかったし画でいえば最後のたけしの笑顔しか覚えてなかったけど)で、一番古い映画音楽の記憶が「Merry Christmas Mr. Lawrence」。なんというか、坂本龍一がもうこの世界にいないんだっていうことへの実感がわかない。

僕は坂本龍一のラディカルなところがけっこう好きで、高橋幸宏のような人格者とは異なるある種のめんどくささみたいなものにも惹かれていた部分がある。某男性デュオを毛嫌いしていたり、某バンドにテレビで「お前ら早く解散しろ!」と吠えたり、グランジについて「若者は元気だ。いつまで古いロックの様式を再生産するのか」的な皮肉を言ったり。マネージャーに殴る蹴るの暴行を働いておいて「ごめんね」で済ませようとしたり、テレビでインタビュアーの質問を鼻で笑い続けたりしていたようなところもまた、この人の一部であった。

そういった負の部分(本人は後に反省していた風であったけど)は負の部分として、やはり坂本龍一という人には惹かれ続けた。嫌いだと思っていた相手でも会うとわりと意気投合してしまうような(例えば井上陽水がそうだったはず)ところも含めて、自分は坂本龍一のファンだったし、かなり影響を受けたと思う。仕事の関係上、もしかしてそのうちお会いすることもできたりするのだろうか、でもちょっと怖いなという複雑な思いが心のどこかにあったけど、それは永遠にかなわなくなってしまった。今となっては、フジロックYMOを見られたことだけが救いだ。