映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

センチメンタルな旅、そして私の本音

000042_original

他人のフィルム写真を見ていて気付く。

みんな幸福そうであるということに。

男性が撮影者の場合、こんな感じだ。シルエットになったボブの女性が被写体で、顔は見えない。海沿いとかでアンニュイにうつむいていて、実にいいあんばいで写っている。

6割ぐらいの確率で「恋人」であり「スタッフがおいしくいただきました」じゃないが「めでたく結婚しました」的なオチがつく。

その後、彼女は僕の妻となりました。

的な。

あとは奥さんや子供の写真があって、それらも皆、実に詩的に美しく撮影されている。なんかいい感じの木のテーブル(このあたりの描写不足に書き手の頭の悪さと貧しさが反映される)にいい感じの食器が並び、いい感じの料理が盛られていて、いい感じの花瓶にいい感じの花が挿してあったりする。

だいぶ前に親から送られてきたやっすいこたつテーブルの上にMacだのランチョンマットだの用語集だのリモコンだの乗っけて、料理は作るものの盛り付けのセンスが小汚く「あら…離乳食かしら」みたいなメニューを急いでかき込み、だっさい部屋着で仕事をしながらいつもイライラしている僕とは全然違う世界にいる人たち。彼ら彼女らの写真はみな一様に美しく魅力的でハイセンスだ。

同じフィルム写真好きなのにこうも違う。収入がどうとかそういう以前の問題で、基本的に人としての”品”みたいなのが違う。たぶん受精卵の段階から違う。

「フィルムってええなあ。よし、俺もやったろ!」と同じきっかけから始まっても、吐き出す画はまったくレベルが違う。かたや「繋がりたいわぁ」と思わせる素敵な写真、そしてもう片方は「絶対に近寄りたくないただめんどくさいだけのカメラおじさんの写真」である。

他人をうらやましがってはいけない。俺には俺の、独り者にしか撮れない写真があるじゃないか。でも心のどこかで考えているのだ。

「あ~ボブでゆったりとした服着てて音楽と映画のセンスがそこそこ良くて写真撮られることもいとわず『え、この人奥さんなの? モデル雇ったのかと思った』と言われるぐらいの美人とセンチメンタルな旅行きて〜でも無理そ〜」

いったいどうしたらいいんでしょうね。

P.S. 数ヶ月前、あるカメラ店のワークショップ的なやつに申し込んだら普通に断られました。何があかんねん。