映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

映画コンという地獄

自分はわりと映画が好きで、頻度的にはだいたい週に2本ぐらいは劇場で映画を観ています。映画館離れが進んでいると言われる昨今、まあ「映画好き」を自称してもいい頻度と言えるのではないでしょうか。

さて、そんな自分ですが、街コンの一種「映画コン」というものをご存知でしょうか。協賛団体にもよるのですが、基本的には映画好きの男女が集まり、映画に関するクイズなどにグループで力を合わせて答えながら親睦を図るイベントです。

自分はこの映画コンに計3回ぐらい行ったのですが、結局いい人と巡り会うことはできませんでした。まあそれは自分の魅力不足が悪いと思うので仕方がないのですが、参加するたびに強く感じることがあります。それは君ら本当に映画好きなん?ということ。

「映画コン」という冠が付くぐらいのイベントに来るぐらいだから、当然自分と同じくらいの頻度で映画館に通っていて、例えばアカデミー賞とかカンヌ国際映画祭のこととか、監督や俳優のこともある程度知ってると思ってたんですよ。

一応言っておくと、僕だってシネフィルというほど映画は観てないしそんなに詳しくは知らないんです。でもさ、例えば今だったら「『レディ・プレイヤー1』が面白かったです」って言ったときに「は?何それ?食えんの?」みたいな表情を浮かべる人って、本当に映画好きなの?と思わされるんですよ。

別にね、『レディ・プレイヤー1』を好きであっても嫌いであってもいいんですよ。それはどっちでもいい。でも「あー、あれね」って認識はできるはずなんですよ。映画に明るくない人のためにわかりやすく例えると、例えば岩田剛典って人がいますよね? 好きか嫌いかは置いておいて。みんな知ってるじゃないですか、だいたい。それで例えるとね、今「映画好き」を自称する人の中で『レディ・プレイヤー1』っていうのは、岩ちゃんぐらい「知ってて当たり前」な存在のはずなんです。好きか嫌いかは置いておいて。「岩田剛典かっこいいよね」って言って「え?何それ食えんの?」みたいな表情を浮かべられたらびっくりしませんか。

もちろんね、映画コンとはいえそういう人しかいないってことはないと思いますよ。自分も「まあそんな人もいるよな」ぐらいに思ってたんです。最初は。そしたら移動するたびに会う女性(男性も含む)みんながマジで「え?何それ食えんの?」みたいな顔をするんですよ。

いやこれが映画コンじゃなくて普通の街コンだったら僕だってなんとも思いません。つか最初から映画の話なんかあまりしない。でもさあ、これは映画コンなんだよな? 映画好きなんだよな? と小一時間問い詰めたくなる(古い)ぐらい、映画が好きな人なんて来ないんですよ。

別に映画コンで「ある映画の感想について意見を闘わせる」みたいなめんどくさいことをするつもりはないんです。ただ映画コンの参加者の大多数って、野球でいうなら「イチローダルビッシュしか知らない」ぐらいの人なんですよ。大谷でさえ「だれ?」みたいな。いやいいんですよ? 知らないこと自体は罪ではない。困惑するのは「『レディ・プレイヤー1』というのはこういう映画なんです」と説明したときに「マニアックですねえ」みたいな反応が返って来ることなんですよ。監督スピルバーグだぜ? 映画好きなの? 本当に。なんで来たの?映画コンに。

もちろん中にはちゃんと知ってる人もいます。でもどのぐらい映画を観てるかって話になったとき「1ヶ月に一度は映画館行きますね」(ドヤァ)みたいな人が「すごい」って崇められてるんですよ。正気かよ

別に映画たくさん見てる人が偉いとは思わないけど、1ヶ月に一本映画館行くレベルで「すごい」って、それは特に映画に興味ない人の話でしょ? 年間100本ぐらい観てる僕は狂人ですか? でもこれ映画コンだよね? 一般の感覚なら狂ってるかもしれないけど、映画好きなんですよね? 

というわけで、今後映画コンなるものに行きたいと思ってる人にはあらかじめ警告しておきたいんですけど、映画コンってそんなに映画好きな人いないです。CGアニメは全部ディズニーが作ってると思ってる人とか普通にいます。あと、俳優の名前(特に外国人俳優)を知ってる人も全然いません。監督のことなんて全然知りません。だからあなたが「カウリスマキの新作は良かった」とか言おうものなら「え?何語?」みたいな反応をされることも覚悟しておいたほうがいいです。

映画に全人類が詳しくなる必要はまったくないのだけど、とりあえず普通の大規模街コンとかに行ってくれよ…と自分などは思うのですよ。

縁談2018

新年一発目の記事で「今年は結婚する」などとぶちあげたものの、「ぶっちゃけ無理じゃね」と我にかえりつつある今日この頃です。

というか、本当はそんなに結婚したくないんだなということに気づいて、何を熱に浮かされたかのように「結婚するぞ結婚するぞ結婚するぞ」と某新興宗教の教祖のように強く念じていたのかわかりません。

そんな中、母の実家に来ているのですが、母の妹の子供たちは皆結婚したり子供がいたり、結婚までいかずとも恋人と同棲していたりしていて、それぞれの生活があるわけで、ここには来ていないわけです。というか、それが普通なのかもしれません。ある程度大人になったら、こういう集まりには来なくなる。悲しいけどこれ現実なのよね、と某中尉の名ゼリフも引用したくなります。

でもいとこうちで一番年上の自分が毎回ちゃんと来てるというね…これどうなんだろう、と思って。そもそも母方は前述したようにみんな片付いていってるというのに、父方のいとこは自分(今年40歳。惑いまくりの不惑)を筆頭にどいつもこいつも未婚というポンコツぶりで。いや、この時代に「いい年して結婚してないからポンコツ」という価値観はいかがなものかと言われればそれはその通りなんだけど、「結婚してないからポンコツ」ではなく「結婚してないのもまあ仕方ないポンコツ」ということであればまあ、いとこたちはそんなに内情詳しくないからともかく自分と弟はまさしくそういう人間だよなあと。

で、祖父には「安定した仕事にも就けたことだし、いい年なんだからそろそろ嫁でももらえ」的なことを少し前からちらちらと言われていたわけです。具体的に「これこれこういう人がいるのだけど、どうか」みたいな話もされていました。そのたびに「そうだね〜」とさらりと返していた自分。今回もその手のことを言われるかなあと思っていたのだけど、図星というか、わりとガチな感じでまた縁談を持ちかけてきたのです、祖父が。

以前この手の話をされたときは「学校の先生をやっているまだ独身の人がいるんだが」ぐらいのふわっとした話だったんですが、今回は「歳はお前より五つ下で、新潟のスーパーで働いてる。まじめないい女性だ。とりあえず会ってみないか。よし今から電話する」と言って、その女性のおじいさんにあたる人に連絡しようとするんです。なんだこの行動力

最初に祖父が受話器を手に取った時は「いやいいよ、いい」とやんわり断ったのですが、そのあとしばらく話していたら「よし電話する」とまた受話器を持つんです。ぜんぜん人の話聞いてない

実は「見合いとかしてみるのも面白いかもなあ」と思ったことはあるんです。なんかわけわかんない日本庭園みたいなとこでお互いの両親もそろえて、「ご趣味は?」「ピアノを」「まあ、私もですわ」「では今度連弾でも」「素敵ですわ」みたいなやりとりを、錦鯉とかが泳いでる池にかかった橋の上でするみたいな、そういうのも悪くないんじゃないかと。経験として。

でもいざ、肉親がすすめる相手に会うかもしれないとなると、やっぱりなんかよくわからないブレーキがかかるんですよね。

どうしてかというとうまく説明できないのですけども、やっぱり「自然に出会っていつしかお互いを意識し始める」という、そういうものが確かな理想としてあるのだなということに改めて気づかされたというか。「それができないポンコツだから仕方ないだろ?」と言われればそれまで。でもまだ自分はそういうことがこの先あるんじゃないかと淡い期待を抱いている、その痛さも自覚させられるつらみもあるわけです。

幸い、留守だったのか寝ていたのか祖父の電話には誰も出なかったわけですが、明日の朝にでもまた連絡しそうで戦々恐々としています。「お前もこうしてここに来ているし、ちょうどいい」とかわけのわからないことを祖父が言っていたので、明日起きたら「じゃ、今日の夕方相手と会え」とかいう展開になったらどうしよう、と。

祖父の気持ち自体はありがたいのです。そりゃあね、かわいがってきた初孫が不惑(惑いすぎ)を目前にして独り身、このままではアパートで誰にも気づかれることなく孤独死→大島てるに「42歳男性が突然死」(実現するなら余命2年)と掲載されるみたいな展開は望んでいないでしょう。その気持ちはわかるけども、やっぱり気がすすまないわけですよ当の本人は。

でも、祖父と自分の会話を面白がって聞く母親と叔母を横目に、「昔の人はこうやって結婚していったんだろうなあ」と考えました。「別にタイプじゃねーけど、そろそろ家族持たなきゃ」みたいな感覚で。というか、この歳になっても実際浮いた話がないんだから、選り好みしてんじゃねーぞと言われるのもまあ仕方ない。じゃあ本当に会ってみる?いやいやいや。という心境なのです。

「会ってみて馬が合わないなら仕方ないけども、とりあえずは話してみろ」という祖父の言い分はわからないでもないんですけどね。こんなことを言うのもなんですが、30年以上生きてきてぜんぜん浮いた話がない人(誰とも付き合ってこなかったわけではないけど)、祖父から心配されるような人って、やっぱりどこか問題があると思うんですよ。自分しかり、祖父が会わせようとしてる相手しかり。ぶっちゃけていうと、もうあんまりがっかりしたくないしさせたくもないんですよね。会ってみて「うん、なんか違う」って思うのも思われるのも疲れるんですよね。若くないから。

最近思うのは「そろそろ1人でどうやって生きていくかを考えたほうが建設的なのではないか」ということ。しょうもない街コンに行って薄っぺらい会話をして、神経と懐をすり減らしていくうちに、もうこれは覚悟を決めるべきではないのか、男性の三分の一が生涯未婚な世の中で、自分がその三分の一に含まれることを潔く認めなきゃいけないのではないか、と考えるようになって。

そもそもこんな風に考えるようになったのも、「結婚するぞ(以下略)」と自分にハッパをかけていたのも、手痛い失恋をしたから。初めて「結婚したい」と思った相手にアプローチして、大江千里じゃないですけど(もうこの例えの時点でおっさん丸出し)格好悪い振られ方をして、とにかく新しい恋だ!と思って行動するも何もかもが空回りで。こんな自分に興味を持って近づいてくれた人も数人いるのに「なんか違うんだよな」とドクター・ストレンジも真っ青の上から目線でかわしてきて。結局は失恋の痛手から逃れたいがために街コンなんかに精を出してますますドツボにハマり、「好きな相手と結婚するなんてそんな難しいことじゃないと思ってたけど、実際のところは、今から俺がジュノンボーイグランプリになるぐらい無理ゲーだったわ」という現実に叩きのめされ。

40も近くなってからの失恋て、痛いですよ。もちろん二重の意味で痛い。激痛。ブログに書くのも激痛。バカ丸出し。よく考えたら、自分が振られた相手は何もかも自分よりスペックが上な相手で、俺が相手にされるわけないじゃないか!初めて結婚したいと思ったとか何様だよ舌噛み切って死ねバカ!みたいな恥ずかしさにも襲われてしまう。

と、だんだん何が言いたいのかわからなくなってきましたが、明日本当に会うことにならないことを願うばかり。なんとなく眠れなくて、深夜にブログを書くとき独特のテンションでここまで綴ってきましたが、明日になって読み返して恥ずかしくなったら削除します。