さっき、あるエッセイを読んでいて思い出したんだけど、学生時代の定番だった「校長の話」って不思議なぐらい記憶にない。
「校長の話」っていうのは「退屈」の代名詞みたいなものになってるわけだが、全国にあれだけ多くの校長がいるんだから、たまには面白い話をする人がいてもいいのにと思う。
でも自分の12年ばかりの学生生活で「これは面白かったなあ」とか「いいこと言うなあ」みたいに思った校長の話はひとつもない。
こうなると「校長の話は退屈でなくてはいけない」というルールがあるのではないかとすら思ってしまう。そう考えると少し気の毒ではある。
そもそも校長たちはどんな思いで、あの退屈な話をしていたのだろうか。「どうせ聞いてないだろうけど、こういう話をしなくちゃいけないんで」なのか「自分ではいい話だと思っているのだがみんな聞いていないな」なのか。
よくあることだが、校長の話の途中に貧血で倒れるやつがいた。当時は「あ〜、まただ」みたいな感じで特に気にもしなかったけど、打ちどころが悪ければ大怪我につながるし、そういう意味では「校長の話」は一種の児童虐待といった色彩を帯びることすらあるわけだ。
とここまで書いてきて思ったのだが、今でも「校長の話」というのはしっかりあるのだろうか。そしてやはり、それは皆退屈な話なのだろうか。