映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

フィルム高騰に思うこと

 noteを新しく始めようかと思ったんだけど、途中まで書いて「noteで新しく始める必要なくね」と思い、下書き保存して執筆を中断した。

 このブログの方向性もいろいろブレブレでどうしたもんかと思う。写真だけを載せるには写真のクオリティが低いし数も少ない。あと僕は機材の解説みたいなのを書くのがあまり好きではない、というか苦手なので、そういう方向性も望めない。「開封の儀」みたいなのも嫌いだし。

 昨年暮れぐらいから写真をあまり撮らなくなって(原因は仕事が忙しかったこととペナントレースが始まってしまったから)、最近ようやく現像に出したりしたわけだが、いつの間にかフィルムが値上がりしていたようだ。実際の値上がり度合いはまだ肌で感じていないのだが、勘弁してほしい。

 若者の間ではけっこうフィルム写真が盛り上がっているような気がするのだが、所詮は極局地的なムーブメントなのだろうか。スマホである程度のデジタル写真が撮れてデジカメがオワコン化しつつある、という状況の中で逆にフィルムに力を入れる気はないのだろうか。老人が多い日本では無理なのだろうか。確かに老人のほうが最新のデジカメ持ってること多いもんな。

「老人」で思い出したけどうちの祖父。クリント・イーストウッドと同い年。前ピンになっちゃってるな。