映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

街の呼吸

X100V

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X100V

20日(金)から新潟・長岡にいて、日曜夜に帰ってきた。

X100Vのデジタルテレコンでマクロっぽい写真を何枚も撮ったけど、やっぱMacで見てみると微妙な解像つーかなんつーか。

3年前に父親が死んで、2023年に母親は自分の実家である長岡に帰るっぽい。そうなると自分の実家というものが関西から消える。ちょっと困った。甲子園に観戦に行くとき、ホテルに泊まらないといけない。

あと自分は25年生きた関西が嫌い、というわけでもないし親や地元の友達としゃべるときは関西弁なので、ここで完全にルーツを失うのがちょっとな、と思っていたりもする。

大阪の街並みもあれはあれで好きだ。食べ物もたぶん関西のほうが好き。でも今から関西に戻ることもちょっと難しいのかなと思う。

こうなると自分の中から関西人の要素がいよいよ本格的に抜けていく。もともと「え、関西人なの?」と言われるタイプではあるが(東京では完全に標準語を話す)。さてどうしたもんだろうか。こんなことになるとは、想像もしていなかったな。このあと東京の人とかと結婚して子供ができたりしたら自分が「関西人的要素」を受け継ぐことはほぼなくなるわけで、なんだか奇妙な気分だ。案外愛着あるんだな、関西に。いやしないんだけど、結婚とか。