映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

造花

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久々に悪夢を見た。知らない女を鎌で切り刻む夢だ。それは正当防衛ではあるようだけど、やはり心地いいものではない。

目を覚ましたあと「知らない人を殺す夢」とググってしまう程度には気が滅入った。

今、新潟に来ている。少し前から母も来ているのだが、祖父に会うためだ。

祖父はクリント・イーストウッドと同い年で、認知症になってるわけじゃないし元気だ。でも当たり前だけど、さすがに歳を取った。イーストウッドの新作を観たとき「ああ、さすがのイーストウッドも年をとったな」と思ったから、そりゃあ僕の祖父も年を取るってもんだ。

タイガースとジャイアンツが1936年の復刻ユニフォームで試合をしている。1936年って大昔だよな、と思うけど、僕の祖父はもう生まれている。そう考えると、なんかすげえ(語彙)。

中越地震で旧山古志村を出てから祖父が買った一軒家の2階には、良い感じで西陽が入る。Goldmundの音楽でも流れそうだ。と今思ったけど、上の花の写真を撮ったときはくるりの「ランチ」を口ずさんでいた。この花は造花だからだ。

 

君が微笑みかけた

磨かれた床に造花の影が映る

 

というくだりがある曲。どうも別れようとしているカップルの歌っぽい。いや僕は誰ともつきあってなどいない。

祖父はいつまでも独り身の僕を案じている。世代的に仕方がない。20代で結婚して子供を2人ぐらいもうけて、40代なら家や車を持っていて、というのが当たり前の世代なのだ。

でも今や、子供を2人育てて家と車を持つのって、相当の成功者に許された特権のような気がする。子供を作る相手もいないのに「子供から『大学に行きたい』って言われたら困るよなあ」とか考えてしまう。大学に行けない子供は僕を恨みそうだ。

もう少し考えてみよう。僕の子供は、野球中継を見て騒ぐ僕にうんざりする気がする。「野球なんか何が楽しいのかわかんない!」とかなんとか言って。自分も「昔はキャッチボールしたのになあ」とかぼやいたりして。

そのような、「20代で結婚して家庭を持っていたら」ということを時折考えるのだが、きっとうまくいかないだろうなと思ってしまう。結婚もしてないのに、離婚して子供に恨まれる自分を想像する。

あるいは、離婚しなくても子供には恨まれるかもしれない。「こんなひどい世の中になることはなんとなくわかっていたはずなのに、なぜ自分を作ったのか」と言われそうだ。戦争、環境破壊、食糧問題、未知の伝染病、大地震、超高齢化社会、クソな政治。少なくとも日本の未来は暗い。

でも案外、50年後の日本はけっこういい感じ(語彙)だったりするのかもしれない。今の祖父と同い年になった僕は「なんだ、けっこういろいろなんとかなったじゃないか。こんなことなら適当に結婚して子供作っときゃよかった」とか思ったりするのだろうか。