映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

父の日がめんどくさい理由(自分の別ブログから転載)

このブログともうひとつ、もっと前からやってるブログに書いた文章なんだけど、こちらに書くか迷ったので、結果めんどくさくなったため両方に載せることにしました。

 今日は父の日だったんだけど、少し前から“あ〜、父の日だけどめんどくせえな”と考えていて、いろいろな理由から精神的余裕がないこともあり何も贈らなかった(母の日は毎年花を贈っている)。

 自分でもあまりよろしくないことだと思うのだけど、父に何か贈ることをめんどくさいと思う理由はそのまんまで、父がめんどくさい人間だからである。

 父は酒飲みなのだけど飲みすぎるきらいがあるし酒そのものを贈るのは芸がないのでやめようと思った結果、つまみ的なものを贈ったことがある。一応自分なりに考えて、海鮮好きな父の好みに合わせて3000円?ぐらいのつまみをネットで手配した。

 そのとき父が直接礼を言ってきたのか、母が代理で礼を言ったのか(こういうことが多いのだ。別にいいんだけど、それは)忘れたが、とにかく受け取ったという連絡は来た。母はともかく父にそういうことをするのは照れくさいのだが、まあ贈ってよかったと思った。

 その後しばらくしてから、母から「実はあの贈ってくれたものをお父さんはあまり好きじゃなかった」的なことを教えてくれた。

 会社でもらうお土産とか、結婚式の引き出物とか、バレンタインデーの手作りチョコレートとか、そういうものが必ずしも自分の好みであるとは限らない。だからまあ仕方ないんだけど、正直なところを言えば「なんだ、じゃあ何もやらなけりゃよかった」と思った。いちいち教えてくる母もどうなんだと思ったが、きっと「うまいとも思わないものを来年も送ってこられても」的な配慮が働いたのかもしれない。

 それからというもの、父には年によって何かを贈ったり贈らなかったりという状況が続いている。一番妥当なのはアサヒ・スーパードライのセットなのだが、地味に高いしなんだか贈る側からすると張り合いがない。とここまで書いてみて、結局は贈る側のエゴなんだなあ、こんなもの、とも思ってしまった。母だってもしかしたら「まーた花贈ってきやがった」と感じているのかもしれない。

 そういうことを考えると、もう何も贈らないか、現金でもやるのが一番だという気もしてきてしまうのだがいかがでしょうか。