映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

絶滅すべきでしょうか

 もう写真を全然上げてないんですけど、写欲沸かないんですよね正直。カメラ持って外出て「あっなんかよさげ」と思って撮っても「しょーもな…」と思ってすぐ消去。いや、これまでこのブログとかに上げてきた写真も全部しょーもないものだったのかもしれないけど、少なくとも自己満足ぐらいはできてたんですよね。他人様から見てどんだけゴミのような写真でも、自分としてはそこそこ好きだった。最近はそれすらない。ゴミ量産機です。カメラがじゃなくて、自分が。

 さて、惨めな婚活の話でもしますか。って、婚活でもないのかな。まあそれなりにいろんなところに出かけていって出会い(うっ、こっぱずかしいこのフレーズ)を探している自分なのですが、まあ出会えない出会えない。自分は就職活動らしい就職活動をしなかった(のに今正社員やれてるのは幸運なのかもしれないが)んですが、みんなこんな気持ちだったのかなと。

 最近思うんですけど、自分と同じように街コンだのアプリ(自分はやってないけど)だの婚活サイト(これも自分はやってないけど)だのでたくさんの人と会って、最終的に結婚した人の話とか聞いてると、実はその人たちって街コンだのアプリだの婚活サイトだので会った人とゴールインしたわけじゃないってケースが多いんですよね。街コンだのアプリだの婚活サイトだので疲弊しきって「もういいや…」となってたところ、友人の紹介とかで知り合った人にピーンときて結婚、みたいなパターンばっかり。ある程度歳を取ったら能動的に動かなきゃいかん!とか言いつつ、結局その能動的に動いた場所では相手が見つかってないっていう。

 そもそも自分が結婚したいのかってことをよーく考えたら、なんかそれはちょっと違うんじゃないかっていう。失恋の結果、次の恋だ!→次の恋ってことはもういい歳だし結婚だな!みたいな、結局失恋を引きずっての結婚願望っていうバカみたいなモチベーションしか持ってないんだなと。で、そんな人に恋人なんか見つかるわけないよなあ、さもしい顔してんだろうなあと思い始めた次第。

 それにしても、世の中の人たちってすごいですよね。自分が好きになった人間が自分を好きになるって、それ都市伝説でしょ?としか思えない。今の自分には(まあもちろん、世のカップルの何割かは“妥協の産物”なのだろうけど)。高校のときとかはいとも簡単にそんな関係が成立していたのに今はできない。その理由は、きっと自分が成熟した大人じゃないからなんだろうなと思ったり。頭の中身が高校生のままだからなあ。

 失恋する前は一人で平気だったし、シングルライフを謳歌してたのにな。きつかった仕事にも慣れて、それなりに遊べるお金もまあまああるのに、どうして今更「また恋がしたいぜよ」とか思ってしまったのだろうか。なんて恥ずかしい人生なんだろう…。絶滅すべきでしょうか。