映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

縁談2018

新年一発目の記事で「今年は結婚する」などとぶちあげたものの、「ぶっちゃけ無理じゃね」と我にかえりつつある今日この頃です。

というか、本当はそんなに結婚したくないんだなということに気づいて、何を熱に浮かされたかのように「結婚するぞ結婚するぞ結婚するぞ」と某新興宗教の教祖のように強く念じていたのかわかりません。

そんな中、母の実家に来ているのですが、母の妹の子供たちは皆結婚したり子供がいたり、結婚までいかずとも恋人と同棲していたりしていて、それぞれの生活があるわけで、ここには来ていないわけです。というか、それが普通なのかもしれません。ある程度大人になったら、こういう集まりには来なくなる。悲しいけどこれ現実なのよね、と某中尉の名ゼリフも引用したくなります。

でもいとこうちで一番年上の自分が毎回ちゃんと来てるというね…これどうなんだろう、と思って。そもそも母方は前述したようにみんな片付いていってるというのに、父方のいとこは自分(今年40歳。惑いまくりの不惑)を筆頭にどいつもこいつも未婚というポンコツぶりで。いや、この時代に「いい年して結婚してないからポンコツ」という価値観はいかがなものかと言われればそれはその通りなんだけど、「結婚してないからポンコツ」ではなく「結婚してないのもまあ仕方ないポンコツ」ということであればまあ、いとこたちはそんなに内情詳しくないからともかく自分と弟はまさしくそういう人間だよなあと。

で、祖父には「安定した仕事にも就けたことだし、いい年なんだからそろそろ嫁でももらえ」的なことを少し前からちらちらと言われていたわけです。具体的に「これこれこういう人がいるのだけど、どうか」みたいな話もされていました。そのたびに「そうだね〜」とさらりと返していた自分。今回もその手のことを言われるかなあと思っていたのだけど、図星というか、わりとガチな感じでまた縁談を持ちかけてきたのです、祖父が。

以前この手の話をされたときは「学校の先生をやっているまだ独身の人がいるんだが」ぐらいのふわっとした話だったんですが、今回は「歳はお前より五つ下で、新潟のスーパーで働いてる。まじめないい女性だ。とりあえず会ってみないか。よし今から電話する」と言って、その女性のおじいさんにあたる人に連絡しようとするんです。なんだこの行動力

最初に祖父が受話器を手に取った時は「いやいいよ、いい」とやんわり断ったのですが、そのあとしばらく話していたら「よし電話する」とまた受話器を持つんです。ぜんぜん人の話聞いてない

実は「見合いとかしてみるのも面白いかもなあ」と思ったことはあるんです。なんかわけわかんない日本庭園みたいなとこでお互いの両親もそろえて、「ご趣味は?」「ピアノを」「まあ、私もですわ」「では今度連弾でも」「素敵ですわ」みたいなやりとりを、錦鯉とかが泳いでる池にかかった橋の上でするみたいな、そういうのも悪くないんじゃないかと。経験として。

でもいざ、肉親がすすめる相手に会うかもしれないとなると、やっぱりなんかよくわからないブレーキがかかるんですよね。

どうしてかというとうまく説明できないのですけども、やっぱり「自然に出会っていつしかお互いを意識し始める」という、そういうものが確かな理想としてあるのだなということに改めて気づかされたというか。「それができないポンコツだから仕方ないだろ?」と言われればそれまで。でもまだ自分はそういうことがこの先あるんじゃないかと淡い期待を抱いている、その痛さも自覚させられるつらみもあるわけです。

幸い、留守だったのか寝ていたのか祖父の電話には誰も出なかったわけですが、明日の朝にでもまた連絡しそうで戦々恐々としています。「お前もこうしてここに来ているし、ちょうどいい」とかわけのわからないことを祖父が言っていたので、明日起きたら「じゃ、今日の夕方相手と会え」とかいう展開になったらどうしよう、と。

祖父の気持ち自体はありがたいのです。そりゃあね、かわいがってきた初孫が不惑(惑いすぎ)を目前にして独り身、このままではアパートで誰にも気づかれることなく孤独死→大島てるに「42歳男性が突然死」(実現するなら余命2年)と掲載されるみたいな展開は望んでいないでしょう。その気持ちはわかるけども、やっぱり気がすすまないわけですよ当の本人は。

でも、祖父と自分の会話を面白がって聞く母親と叔母を横目に、「昔の人はこうやって結婚していったんだろうなあ」と考えました。「別にタイプじゃねーけど、そろそろ家族持たなきゃ」みたいな感覚で。というか、この歳になっても実際浮いた話がないんだから、選り好みしてんじゃねーぞと言われるのもまあ仕方ない。じゃあ本当に会ってみる?いやいやいや。という心境なのです。

「会ってみて馬が合わないなら仕方ないけども、とりあえずは話してみろ」という祖父の言い分はわからないでもないんですけどね。こんなことを言うのもなんですが、30年以上生きてきてぜんぜん浮いた話がない人(誰とも付き合ってこなかったわけではないけど)、祖父から心配されるような人って、やっぱりどこか問題があると思うんですよ。自分しかり、祖父が会わせようとしてる相手しかり。ぶっちゃけていうと、もうあんまりがっかりしたくないしさせたくもないんですよね。会ってみて「うん、なんか違う」って思うのも思われるのも疲れるんですよね。若くないから。

最近思うのは「そろそろ1人でどうやって生きていくかを考えたほうが建設的なのではないか」ということ。しょうもない街コンに行って薄っぺらい会話をして、神経と懐をすり減らしていくうちに、もうこれは覚悟を決めるべきではないのか、男性の三分の一が生涯未婚な世の中で、自分がその三分の一に含まれることを潔く認めなきゃいけないのではないか、と考えるようになって。

そもそもこんな風に考えるようになったのも、「結婚するぞ(以下略)」と自分にハッパをかけていたのも、手痛い失恋をしたから。初めて「結婚したい」と思った相手にアプローチして、大江千里じゃないですけど(もうこの例えの時点でおっさん丸出し)格好悪い振られ方をして、とにかく新しい恋だ!と思って行動するも何もかもが空回りで。こんな自分に興味を持って近づいてくれた人も数人いるのに「なんか違うんだよな」とドクター・ストレンジも真っ青の上から目線でかわしてきて。結局は失恋の痛手から逃れたいがために街コンなんかに精を出してますますドツボにハマり、「好きな相手と結婚するなんてそんな難しいことじゃないと思ってたけど、実際のところは、今から俺がジュノンボーイグランプリになるぐらい無理ゲーだったわ」という現実に叩きのめされ。

40も近くなってからの失恋て、痛いですよ。もちろん二重の意味で痛い。激痛。ブログに書くのも激痛。バカ丸出し。よく考えたら、自分が振られた相手は何もかも自分よりスペックが上な相手で、俺が相手にされるわけないじゃないか!初めて結婚したいと思ったとか何様だよ舌噛み切って死ねバカ!みたいな恥ずかしさにも襲われてしまう。

と、だんだん何が言いたいのかわからなくなってきましたが、明日本当に会うことにならないことを願うばかり。なんとなく眠れなくて、深夜にブログを書くとき独特のテンションでここまで綴ってきましたが、明日になって読み返して恥ずかしくなったら削除します。