映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

オニオンスライスの男

DSCF9844.jpg X-T2, FUJINON XF35mm F1.4 R, f/1.4, 1/125, ISO 500

以前、何度か街コンなるものに行ってみたことがあった。片想いに破れ、なかば自棄になっていたころのことだ。

よくあることだが、そういうときに誰かと出会ってもほとんどの場合心は動かない。誰のことも好きじゃない、ニュートラルなときなら惹かれていたのかもしれないけど、やることは結局、自分が心から追い払えない人と目の前の相手を比較することである。

いろいろな女性の前に座り、どうでもいい話をする。自然にパートナーを見つけることのできない敗残者が向かい合って、薄っぺらい会話を交わす。要は(もちろん自分も含めて)残飯同士が寄り合っているだけだ。残飯にはもう腐りかけている(自分もそうである)ものもある。腐ったもの同士が寄り集まって、都会の片隅のビルの中で発酵臭を漂わせている。

しかしそんな中でも、たまにカップルが成立する。スーパーの消費期限が近づいた弁当みたいな我々は、「いいな、買われていったな」と彼ら彼女らを見て思う。そして「おつとめ品」のシールが貼られても誰の手にも取られることのなかった者たちが、容赦なく廃棄されていく。せっかく作ってもらったのに、おいしく食べてもらいたかったのに、と思いながら。

というようなことを書いていたら、自分の境遇よりも、メタファーとして書いた廃棄弁当のことが不憫に思えてきてなんだか悲しくなってきた。バカみたいだけど。本当、罰当たりなことしてるよね。肉にされるために飼われて、結局棄てられるなんて、浮かばれなすぎるよね。それを思ったら、孤独なんてどうということはないのかもしれない。

街コンでは、こちらに良い印象を持ってくれた人もいた。直接会話をしなかったのに、パーティーが終わった後に「連絡先を教えてください!」と声をかけてくれた人もいた。でも僕はただただ疲れて、もうこういうものには行くまいと思った。行く前にはそれなりに期待するけど、終わった後に残るのは、連絡することもないLINEのIDと増幅された虚しさだけ。それでいて財布の中身は軽くなる。計4回ほど行ったけど、参加するたびに、もともと希薄な自分の存在がますます薄まっていく気がした。向こうが透けて見えるような薄さのオニオンスライスみたいな男。おまけに腐っている。それが今の自分だ。

例によって文章と写真にはなんの関係もない。