映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

2つめの故郷

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祖母の納骨ということで新潟県長岡へ。

祖母のお骨を、以前は“山古志村”と呼ばれていた場所の、かつて祖父と祖母の家があった場所に立つ墓に入れる。

小学生の頃、夏休みには毎年過ごした場所である。うちの両親やいとこたちがそれぞれの家に帰ったあとも、僕だけが残って祖父母や叔父と一緒に過ごした。

中越地震のあと祖父母と叔父は長岡市の平野部に引っ越した。今の家も嫌いではないが、“いなか”という言葉から思い出すのは地震でほぼ全壊となった山古志の家である。捕まえたカエルをバケツに入れて玄関に置いておいたらアオダイショウがやってきて顔を突っ込んでいたこととか、近くで飼われていた牛のかわいい目とか、家の前と後ろにあった池とか、水道から出る手がちぎれるほど冷たい水とか、祖父母の作った野菜の味とか、そういったものすべてを時折思い出す。

なんてことを言いつつも、最近“クマが出る”という話も聞いていたので、家族と離れて立ちションしながら“クマこええ”と1人思っていた僕なのであった。

桜が満開の季節に長岡に来たのはこれが初めて。長岡の記憶はいつも真夏である。

棚田が美しい時期に写真を撮りに来てみたい。

クマこええけど。