映えない

人生が映えない人間は写真も映えない

美容師さんとの会話はわずわらしいですか

DSCF0187.jpg X-T2, FUJINON XF35mm F1.4 R, f/2.0, 1/1900, ISO 200

 もう10年以上のつきあいの美容師さんが産休・育休から復帰した。

 なんとなく恋愛の話になったのだが、美容師さんはとても楽観的な考え方の持ち主で、こういう人はやっぱり幸せになるべくしてなるのだなと思った。

 最近悪いことが立て続けに起こるんだけど、これまでの人生もいつもそうだったんですよねと言ったら、「私はそんなことないけどな。というか悪いことが起きてもそんなに気にしてないのかも。下手すると悪いことが起きたと気づいてないのかも!」と笑っていた。要するに認識の問題か。

 何はともあれ話していたらこっちまでちょっと明るい気持ちになるような気がして、美容師としての腕はもちろんお墨付きだけども、この人にずっと髪を切ってもらっていてよかったなと改めて感じた。美容師との会話がわずらわしいという人も多いけど、僕がこの人に髪を切ってもらう理由の半分ぐらいは話が楽しいからだ。

大盛り焼きそば

DSCF0073.jpg X100T, f/4.0, 1/2000, ISO 6400

仕事で日比谷を訪れたついでに、あるパスタ屋に行ったんだけど正直大してうまくなかった。パスタというよりは大盛り焼きそば。並んでまで食うほどのものじゃない。でも値段を考えればこんなものかなという気もする。変に期待しすぎた自分が悪かった。

ところで地方出身者からすると、日比谷と有楽町の区別がつきにくいというか、どこから日比谷でどこから有楽町やねん、近くには銀座まであるやんけ、もうわけわからんと思ってしまうのだけど、生粋の江戸っ子からするとそのへんどうなんでしょう。

で、この写真はまたなんでこんなにISOが上がっちゃってるのっていう。

後記:今写真見てて気付いたけど、YURAKU CONCOURSEのYとKが消え、RSEも微妙なことになっていた、結果的にURA U CONCOURSFとなってるところになんか風情がある。と思うのは自分だけかもしれない。

オニオンスライスの男

DSCF9844.jpg X-T2, FUJINON XF35mm F1.4 R, f/1.4, 1/125, ISO 500

以前、何度か街コンなるものに行ってみたことがあった。片想いに破れ、なかば自棄になっていたころのことだ。

よくあることだが、そういうときに誰かと出会ってもほとんどの場合心は動かない。誰のことも好きじゃない、ニュートラルなときなら惹かれていたのかもしれないけど、やることは結局、自分が心から追い払えない人と目の前の相手を比較することである。

いろいろな女性の前に座り、どうでもいい話をする。自然にパートナーを見つけることのできない敗残者が向かい合って、薄っぺらい会話を交わす。要は(もちろん自分も含めて)残飯同士が寄り合っているだけだ。残飯にはもう腐りかけている(自分もそうである)ものもある。腐ったもの同士が寄り集まって、都会の片隅のビルの中で発酵臭を漂わせている。

しかしそんな中でも、たまにカップルが成立する。スーパーの消費期限が近づいた弁当みたいな我々は、「いいな、買われていったな」と彼ら彼女らを見て思う。そして「おつとめ品」のシールが貼られても誰の手にも取られることのなかった者たちが、容赦なく廃棄されていく。せっかく作ってもらったのに、おいしく食べてもらいたかったのに、と思いながら。

というようなことを書いていたら、自分の境遇よりも、メタファーとして書いた廃棄弁当のことが不憫に思えてきてなんだか悲しくなってきた。バカみたいだけど。本当、罰当たりなことしてるよね。肉にされるために飼われて、結局棄てられるなんて、浮かばれなすぎるよね。それを思ったら、孤独なんてどうということはないのかもしれない。

街コンでは、こちらに良い印象を持ってくれた人もいた。直接会話をしなかったのに、パーティーが終わった後に「連絡先を教えてください!」と声をかけてくれた人もいた。でも僕はただただ疲れて、もうこういうものには行くまいと思った。行く前にはそれなりに期待するけど、終わった後に残るのは、連絡することもないLINEのIDと増幅された虚しさだけ。それでいて財布の中身は軽くなる。計4回ほど行ったけど、参加するたびに、もともと希薄な自分の存在がますます薄まっていく気がした。向こうが透けて見えるような薄さのオニオンスライスみたいな男。おまけに腐っている。それが今の自分だ。

例によって文章と写真にはなんの関係もない。